フィリピンでRelax

イゴロット族と共に過ごした日々。 フィリピンでのよもやま話。ルソン北部の情報交換の場になればと思います。

2006.06.19 Mon

ホテルの衛星放送 [フィリピン バギオ]
ホテルの衛星放送の映りが砂嵐になる時間帯がある。
1時間か2時間に一度ほどなのだけれど、
いい所で見えなくなってがっくりする事が度々ある。

多分周りの住居が障害物になっていて、
たまたま衛星が頭上に無いという現象が起こるようだ。
1時間程もするとまた元のように映るのだけど、
それまでの時間をかなり持て余す。
そもそも、日本語を聞く機会は全く無い訳で、
バギオで見ることの出来るNHKはかなりの楽しみでもあった。
普段なら大して興味も無い芸能人が出ているだけで、
嬉しくなったりもする。

ところで、衛星というのは地球の周りに地球を一周するように幾つかの
コースがあり、1つのコースに付き4〜5つ程の衛星が周っている。
GPS機能搭載の携帯やカーナビなんかは、
これらの衛星を元に座標を割り出すのだけれど、
自分の頭上には常に幾つかの衛星のテリトリーにあるから、
自分が居る座標を常に知る事ができる。

ただ、雨雲やビルの影に入ると座標を割り出せなくなる。
元々アメリカが軍需用に使用していたものを一般に開放したのが始まり
で、人々の暮らしに役立っている。
でも、フィリピンの地図を搭載したGPSはあるんだろうか?
細かい地図があれば非常に助かるんだけどなぁ。

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2005.07.21 Thu

マニラからバギオのバス [フィリピン バギオ]
インターネットラジオでオールディーズを聴いていて思い出したのだけれど、
ManilaからBaguioのバスに乗ると映画や音楽が必ずといって良いほど流れる。
それは運転手の気分次第なのだが、高いバスはエアコン+映画といった感じなのか?

このバスで流れる音楽Manilaを出発してしばらくは、ポップスや最近流行の曲が流れている。
所がBaguioに近づくとカントリーにとって変わる。
意図したものなのかそうでないのか、その辺りは良く判らないが、
Baguioに近づきカントリーが流れてくると、あぁきたなぁ。と、思うのである。

このバス。僕はエアコン無しをもっぱら利用する。
理由は、エアコンのききすぎだ。
半そでなんかじゃ間違っても乗れないくらい、キンキンに冷やす。
冷凍庫のマグロ並みに冷えること請け合いだ。
そういった理由で、僕はもっぱら安いバスの窓際を確保することにしている。
窓から入ってくる風の方がよっぽど気持ちいい。
止まると熱射地獄だし埃っぽいのが難点だが、
それ以外は快適なものである。
まぁ埃っぽさや暑さもまた、フィリピンの良さでもあるんだけどね。

2005.07.12 Tue

Baguioで倒れた(後編) [フィリピン バギオ]
安いHotelを探したがそれでも1泊1000ペソくらいした。
でもシャワーを浴びれたことはありがたかったなぁ。
部屋にはテレビがついており驚いたことに衛星放送まで入っており、
NHKで久しぶりに聞く日本語がなんだかうれしかった。

熱はやや下がり始めたものの未だ38度以上あり、
油断できない状況だった。
ここ数日で随分と体力も落ちている事だし、完治には程遠い。
だが1泊1000ペソのHotel暮らしをするのは勿体無い気がしたし、
翌日体調が良ければSagadaまで行ってしまおうと思った。
(SagadaはBaguioよりも涼しいという情報があったので。)
僕はその日中々寝付けず夜遅くまでTVを見、
眠りに付いたのはかなり遅くなってからだった。

翌日昨日の夜更かしがたたってかなり眠たかったが、
手早く荷物を纏め、早朝5時の便に乗るべくバス停まで急いだ。
熱も昨日より下がったようで、幾らか体調も良かった。

Sagadaで僕は1週間の逗留をし体調の回復を図ったが、
今もってあの時の病気が何であったのかは判らない。
恐らく細菌性の病気ではなかろうかと思っているのだが、
幅広く効く抗生物質を飲んだにもかかわらず、
腹痛も熱も収まらなかったのはどうしてだったのだろう?

それにしても恐るべきは、地元で売っていた薬である。
あれほどの熱があったにもかかわらず、
数日のうちに平熱近くまで下がってしまった。
やはり、地元の薬の方が良く効くのかもしれない。
(副作用など怖い面もあるけれどね。)

2005.07.11 Mon

Baguioで倒れる(中編) [フィリピン バギオ]
翌日の10時頃、僕は相変わらず下がらない熱と共に目覚めた。
確かちょっと離れた所に薬局があったよな...
郷に入れば郷に従え。薬も地元のがきくかもしれないよな...
問題はどう説明するか・・・あいにく英語もタガログもさっぱりだし、
電子辞書片手に何とかするしかねーよな。
意を決して立ち上がったものの、平衡感覚も無くフラフラする。
だけど、助けを求めるにも僕にはその術もない。
自分で何とかするしかないのだ。

薬局はあいにく盛況で、ぼくは10分近く待たされ、
店頭に居た女の子に、電子辞書と片言の英語で症状を伝えた。
彼女はひとしきり僕に質問を浴びせかけ、
何となく症状を理解したようで、
近くに居た同僚に少し相談すると薬棚の方へ歩いて行った。
後は出てきた薬を飲んで野となれ山となれである。
帰りにマクドナルドでビックマックを3個と、
近くのサリサリでミネラルウォーター2本を購入し、
ゲストハウスへと何とか帰り着いた。

宿に戻ると無理やりビックマック1個を詰め込み、
(消化には悪いが、何も食べないよりはマシである。)
買ってきた薬を飲んで再び眠りに落ちて行った。
再び起きた時は夜10時を既に回っていた。
今度は腹痛に目覚め何度もトイレの往復を繰り返すというようなことは無かったが、
相変わらず熱は下がらないままであり、フラフラしていた。
僕は再度ビックマック1個を腹に詰め込み薬を飲むと目を閉じた。
腹痛が無くなったことで、何とかなるかもしれないなぁと、
少し安心した。

深夜になり、妙な物音で目が覚めた。
ガサガサガサ。ガサガサガサ。
音のする方をみてみると何やら動く気配を感じる。
起き上がって電気をつけてみると、
黒い影が部屋の角へと消えて行った。
部屋の角を注意深く見てみると、
あったあった。穴が空いている。
どうやらネズミが徘徊しているらしい。
衛生的にもちょっと問題がありそうだし、
そろそろシャワーも浴びたかったので、
翌日、少し奮発して近くのHotelに移ることにした。

2005.07.10 Sun

Baguioで倒れる(前編) [フィリピン バギオ]
猛烈なスコールと共にBaguio郊外に降り立った。
この時既に疲労困憊だったのである。
(バスでのっぴきならないトラブルが有った話は別の機会に譲るとして。)
郊外と書いたが、降りた場所が何処なのか?
判る訳も無く...
降車客はさっさとトライシクルに乗ってバス停を後にして行く。
あっという間に待機していたトライシクルは尽き、
僕は雨ざらしのバス停で立ち尽くしていた。
40ℓのバックパックにギターと手提げ鞄1個。
雨具を出す元気も無く。
ただただスコールに打たれつつ途方に暮れた。

とりあえず現在地を調べなければと地図を出してみたものの、
そう詳しい地図では無いから、バス停なんぞ載ってはいない。
とりあえず、街らしき方向へ見当を付けて歩き出した。
途中やっと一人の老人に出会い、
道を尋ねBaguio中心の方向を聞く事ができ、
数十分かけて街の中心を目指し歩いたのである。

まずは宿だ。ゲストハウスを歩いて周る元気も無く、
前から見当をつけていたゲストハウスを何とかみつけ、
チェックインした。
7時間近い道中何も食べて居なかったので、
着替えると近くにあるレストランへと食事を取りに向かった。
レストランと言っても、こっちでいう定食屋のようなもので、
一応大層なメニューが載ってはいるものの、あまり期待はできない。
(僕が良いレストランを知らないだけのことだが)
僕は豚と野菜の炒め物と中華チャーハンを頼んだ。
味は可も無く不可も無くといったところか...
帰りにミネラルウォーターを買い、ゲストハウスへと戻った。
夕方の6時頃だっただろうか?

ゲストハウスに着くと移動の疲れもあり、僕は泥のように眠った。
異変が起きたのは何時だったのか...
僕はものすごい腹痛と共に目が覚めた。
慌ててトイレに駆け込むが、腹痛の痛みはなかなか去らない。
どうやら熱もあるようだった。
数十分後僕は部屋に戻り、熱を測ると40度を超えている。
こんなこと子供の頃以来である。
日本から持参した風邪薬と解熱薬を飲みトイレとの往復を繰り返した。

それからまたどれ程の時間がたったのか、意識も朦朧としていたし覚えてはいない。
病院に行く事も考えたのだが、いったい何処にあるやら、
受付けに行って聞くのも億劫であった。
再び熱を測るとさっきよりも上がっている。
もう、相当寝たはずなのに.....
僕は再び今度は抗生物質を飲み眠りに付いた。