2006.07.14 Fri
石階段を作る [フィリピンGuinang]
山間部にあるGuinang村の家は石階段で道から家通りから通りへと繋がっている。
幅はそれぞれ違うけれど、公共部分は人が1人やっとすれ違う事が出来る位の幅。
道から家までの階段はそれぞれの家庭の事情により広かったり狭かったりといった感じ。
日本で言う所の格のような物で、一種のステータスにもなっているようだ。
裕福な家は幅広く長い階段を。あまり裕福で無い家は必要最低限の幅のみを確保するといった感じだ。
何故かというと、使用するモルタルの量が変わってくる。
又、階段を使用するという事は、家自体一段低い部分に平地を作り建つ事になるので、当然土留めをする為の石垣も必要になってくる。
この石垣は野積みという手法と思われ、石垣の断面を綺麗にカットする事無く積み上げられた石垣だ。
戦国時代、急場に作られた砦や城に使われた手法だ。
僕と弟のルークでこの石垣に使う石を1k程離れた所から運んだのだけれど、これまた大変だった。
ルークと一緒に石場に行って手頃な石を探す。
それを肩に担ぎ家までの道を何往復もする。
いびつな石を肩に担ぎ山道を歩くのは非常にこたえる。
何往復かした時だった。父親がふらりと現れ、石を担ぎ始めた。
それも60キロはあろうかと思われる石。
驚いた。60は過ぎているだろう父がそれ程の力持ちとは…
驚くやら情けないやら。
父ちゃん…いつも酔っ払ってばかりじゃ無かったんだねぇ…
情け無い父ちゃんが、見直された瞬間でもあった。
僕とルークは2人30キロ程の石を担ぎ何往復しただろう…
朝早くから昼までかかり運び終えた。
昼食を取り、今度は階段造り。
建築現場でのアルバイトがここでは役に立った。
目見当で石を積もうとする父ちゃんに、水糸を使用した水平の取り方を伝授。
それから、モルタルと砂と水の割合も伝授した。
あっという間に階段と敷石は完成し、最後にルークと2人サインを入れ、
水浴び場へと向かった。

幅はそれぞれ違うけれど、公共部分は人が1人やっとすれ違う事が出来る位の幅。
道から家までの階段はそれぞれの家庭の事情により広かったり狭かったりといった感じ。
日本で言う所の格のような物で、一種のステータスにもなっているようだ。
裕福な家は幅広く長い階段を。あまり裕福で無い家は必要最低限の幅のみを確保するといった感じだ。
何故かというと、使用するモルタルの量が変わってくる。
又、階段を使用するという事は、家自体一段低い部分に平地を作り建つ事になるので、当然土留めをする為の石垣も必要になってくる。
この石垣は野積みという手法と思われ、石垣の断面を綺麗にカットする事無く積み上げられた石垣だ。
戦国時代、急場に作られた砦や城に使われた手法だ。
僕と弟のルークでこの石垣に使う石を1k程離れた所から運んだのだけれど、これまた大変だった。
ルークと一緒に石場に行って手頃な石を探す。
それを肩に担ぎ家までの道を何往復もする。
いびつな石を肩に担ぎ山道を歩くのは非常にこたえる。
何往復かした時だった。父親がふらりと現れ、石を担ぎ始めた。
それも60キロはあろうかと思われる石。
驚いた。60は過ぎているだろう父がそれ程の力持ちとは…
驚くやら情けないやら。
父ちゃん…いつも酔っ払ってばかりじゃ無かったんだねぇ…
情け無い父ちゃんが、見直された瞬間でもあった。
僕とルークは2人30キロ程の石を担ぎ何往復しただろう…
朝早くから昼までかかり運び終えた。
昼食を取り、今度は階段造り。
建築現場でのアルバイトがここでは役に立った。
目見当で石を積もうとする父ちゃんに、水糸を使用した水平の取り方を伝授。
それから、モルタルと砂と水の割合も伝授した。
あっという間に階段と敷石は完成し、最後にルークと2人サインを入れ、
水浴び場へと向かった。
2006.07.09 Sun
フィリピンのエアコンとトイレ [フィリピンの暮らし]
暑い国でのエアコン。快適な暮らしをするにはかかせな存在かもしれない。
でも、冷凍庫並みに冷えている店なりバスに当たる確立もまた、
すごく高い。
レストランであれば、早めに食事を切り上げて出れば良いが、
キンキンに冷えた長距離のバスは頂け無い。
その内詳しく書きたいと思うけれど、
これはちょっとした拷問に近く、腹を冷やす事間違い無し。
長袖でも持っていれば何とかなるかもしれないけれど、
そうでもなければ防ぐ手立ても無い。
長距離バスは途中で降りるなどという事も出来ないし、
一度、腹を壊すと恐ろしい末路が待っている。
長距離バスに乗る時は、エアコン無しの窓際の席。
これが一番快適に過ごす事が出来る方法かもしれません。
良かったらぽちっとお願いします。

でも、冷凍庫並みに冷えている店なりバスに当たる確立もまた、
すごく高い。
レストランであれば、早めに食事を切り上げて出れば良いが、
キンキンに冷えた長距離のバスは頂け無い。
その内詳しく書きたいと思うけれど、
これはちょっとした拷問に近く、腹を冷やす事間違い無し。
長袖でも持っていれば何とかなるかもしれないけれど、
そうでもなければ防ぐ手立ても無い。
長距離バスは途中で降りるなどという事も出来ないし、
一度、腹を壊すと恐ろしい末路が待っている。
長距離バスに乗る時は、エアコン無しの窓際の席。
これが一番快適に過ごす事が出来る方法かもしれません。
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2006.07.08 Sat
英語と日本語と洋楽 [フィリピン雑記帳]
初めてフィリピンの地を訪れた時、イゴロット族に興味を持ち、
気が付いたらフィリピンへの格安航空券を取りパスポートを取り、
そして飛行機に乗り込んでいた。
その間、わずか一週間だった。
中学、高校以来、まともに英語など勉強した事も無かったし、
食事をするのもままなら無い状況で、
わずか一週間で体力が落ち高熱にうなされた。
話をする相手もおらず、話といえばただただ、
電子辞書を片手に、イゴロット族が何処に住むのかを訪ねるばかり。
かなり覚悟をして渡比したつもりだったけれど、
それでもかなりこたえた。
日本へ帰る事なくやっていけたのは、
イゴロット族に対する興味があったからだと思う。
日本で見た、ライステラスで働く彼等の姿が何故か目に焼きついて離れなかった。
初めは日本語を話す機会が無いのが非常に苦痛だったけれど、
少しずつ色々な言語に触れて覚えて行くうちに、
そういった思いも消えて行った。
どうしても日本語が聴きたい時は、
日本から持っていった椎名林檎のalbumを聴いて慰めた。
元々、音楽は洋楽を聴く事が多かったのだけれど、
流石に毎日カントリーソングでは飽きる。
ラジオから、たまに流行のポップスが流れて来る事もあるけれど、
狙って聴けるようなものではない。
たまに、バギオでMTVを見たりして最新の音楽情報なんかを仕入れた。
3ヶ月を過ぎた頃だっただろうか、その頃が言語に対するストレスのピークだったと思う。
英語が判れば良い。イロカノ語が判れば良い。カリンガ語が判れば良い。ボントック語が判れば良い。
そういったものでは無かった。
話の輪に入って行くには、その土地の言語を有る程度理解しなくてはならない。
毎日子供達を捕まえては、メモを取り、間違いを指摘させ少しずつではあるけれど覚えて行った。
ある時、butbut村を歩いているとおばあさんが話しかけてきた。
いい加減、ここの言葉を覚えろという。
このおばあさんは、英語など話せないから話しかけてくる時は土地の言葉で話しかけてくる。
それまで、判らなかった言葉が、何故かこの日は耳にすっと入ってきた。何故なのかは判らない。
またある時guinang村の母親が、今日は暑いねぇ。
太陽が今一番高いから暑いんだよ。
と台所を背に僕に話しかけた。
この時も、何故だか判らないけれどちゃんと話が出来た。
こういう事がきっかけで、ある日突然飛躍的に理解する事が出来る事がある。
こういう繰り返しで言葉というものは覚えて行くものなのだろうか?
きっといい加減に覚えている所も随分あるのだろうなぁと、
今更ながらに思う。
良かったらぽちっとお願いします。

気が付いたらフィリピンへの格安航空券を取りパスポートを取り、
そして飛行機に乗り込んでいた。
その間、わずか一週間だった。
中学、高校以来、まともに英語など勉強した事も無かったし、
食事をするのもままなら無い状況で、
わずか一週間で体力が落ち高熱にうなされた。
話をする相手もおらず、話といえばただただ、
電子辞書を片手に、イゴロット族が何処に住むのかを訪ねるばかり。
かなり覚悟をして渡比したつもりだったけれど、
それでもかなりこたえた。
日本へ帰る事なくやっていけたのは、
イゴロット族に対する興味があったからだと思う。
日本で見た、ライステラスで働く彼等の姿が何故か目に焼きついて離れなかった。
初めは日本語を話す機会が無いのが非常に苦痛だったけれど、
少しずつ色々な言語に触れて覚えて行くうちに、
そういった思いも消えて行った。
どうしても日本語が聴きたい時は、
日本から持っていった椎名林檎のalbumを聴いて慰めた。
元々、音楽は洋楽を聴く事が多かったのだけれど、
流石に毎日カントリーソングでは飽きる。
ラジオから、たまに流行のポップスが流れて来る事もあるけれど、
狙って聴けるようなものではない。
たまに、バギオでMTVを見たりして最新の音楽情報なんかを仕入れた。
3ヶ月を過ぎた頃だっただろうか、その頃が言語に対するストレスのピークだったと思う。
英語が判れば良い。イロカノ語が判れば良い。カリンガ語が判れば良い。ボントック語が判れば良い。
そういったものでは無かった。
話の輪に入って行くには、その土地の言語を有る程度理解しなくてはならない。
毎日子供達を捕まえては、メモを取り、間違いを指摘させ少しずつではあるけれど覚えて行った。
ある時、butbut村を歩いているとおばあさんが話しかけてきた。
いい加減、ここの言葉を覚えろという。
このおばあさんは、英語など話せないから話しかけてくる時は土地の言葉で話しかけてくる。
それまで、判らなかった言葉が、何故かこの日は耳にすっと入ってきた。何故なのかは判らない。
またある時guinang村の母親が、今日は暑いねぇ。
太陽が今一番高いから暑いんだよ。
と台所を背に僕に話しかけた。
この時も、何故だか判らないけれどちゃんと話が出来た。
こういう事がきっかけで、ある日突然飛躍的に理解する事が出来る事がある。
こういう繰り返しで言葉というものは覚えて行くものなのだろうか?
きっといい加減に覚えている所も随分あるのだろうなぁと、
今更ながらに思う。
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2006.07.06 Thu
フィリピンの風呂 [フィリピン雑記帳]
フィリピンはご存知の通り、雨季になると高温多湿になる。
そういう訳で、日本に居る時よりも数倍の汗をかくことになるのだけれど、当然風呂の回数も増える。
風呂といっても、水浴びが殆どでバスにお湯を貯めて入るといったことはまず無い。
日本で言う所の風呂は、汚れを洗い流し体を綺麗にするといった感じだけれど、フィリピンでは汗を流すという方が近いと思う。
1日、何度かシャワーや水浴びをして汗を流す。
そんな感じだ。
シャンプーや石鹸も日本のそれとは違い、
香料が多く使われていて、汗の匂いを消してくれるから、
必然と雑踏の匂いも、日本とは違い甘ったるい匂いが漂う。
最初は、この匂いが苦手で慣れなかったが、
慣れてしまうと、日本の物では何となく物足りなく感じる。
実際、日本から持って行った石鹸やシャンプーを使用していたのだけれど、それではフィリピンでかく汗には対応出来ない感じがした。
業に入れば業に従えという事だろうか?
使う製品が、その土地により最善の物が変わるのだなぁと思う。
東京のサリサリでも手に入るので、
試したい方は是非トライしてみてください。
良かったらぽちっとお願いします。

そういう訳で、日本に居る時よりも数倍の汗をかくことになるのだけれど、当然風呂の回数も増える。
風呂といっても、水浴びが殆どでバスにお湯を貯めて入るといったことはまず無い。
日本で言う所の風呂は、汚れを洗い流し体を綺麗にするといった感じだけれど、フィリピンでは汗を流すという方が近いと思う。
1日、何度かシャワーや水浴びをして汗を流す。
そんな感じだ。
シャンプーや石鹸も日本のそれとは違い、
香料が多く使われていて、汗の匂いを消してくれるから、
必然と雑踏の匂いも、日本とは違い甘ったるい匂いが漂う。
最初は、この匂いが苦手で慣れなかったが、
慣れてしまうと、日本の物では何となく物足りなく感じる。
実際、日本から持って行った石鹸やシャンプーを使用していたのだけれど、それではフィリピンでかく汗には対応出来ない感じがした。
業に入れば業に従えという事だろうか?
使う製品が、その土地により最善の物が変わるのだなぁと思う。
東京のサリサリでも手に入るので、
試したい方は是非トライしてみてください。
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2006.07.06 Thu
ラ・バンバを歌う [フィリピンBontoc]
ある時フランシスに誘われ、カラオケに行った。
カラオケといっても、マニラにあるそれとは違い、
明るい店内で、お酒を飲みながら楽しく飲むという、
正しいカラオケといった感じだった。
ここにあったカラオケは、なんとも巨大で自動販売機の1.5倍程もある機械で、曲を頼むとコインを入れてくれオケがスタートする。
何品かのつまみを頼み、いつもの様にフランシスと大工の友人と三人で、ジンの回し飲みを始めた。
ビールを飲みたい所だったけれど、友人と飲む酒はやはりジンの回し飲みに限る。
フランシスの十八番は、テネシーワルツ。
お世辞にも上手とは言えないが、感情を込めた中々の歌いっぷりだ。
選曲が古いのは致し方ないが、次回会った時には別の曲を是非教えようと思う。
僕はお酒が飲めればそれで良いと思っていたので、
黙々と酒を飲んでいたのだけれど、
その内、フランシスが僕の前にマイクを差し出した。
またやったなぁ…
案の定クラプトンのTears In Heavenが流れてくる。
以前にも、祭りの最中の出し物として突然ギターを渡され演奏させられた事があるのだけれど、以来気に入ったのか事ある毎にリクエストする。
僕は丁重に辞退して、ラ・バンバをリクエストした。
ラ・バンバはメキシコの古い民謡で、映画のタイトルにもなっている曲。リッチーバレンスがカバーした曲でもあり、好きで良く聞いていた。
マニラからバギオへのバスの中、バギオへ近づくとそれまでかかっていた流行曲から、カントリーソングに変わる。
あぁ帰ってきたなぁと感じる瞬間でもある。
この土地で、何時かオールディーズが栄える。
そんな日が来ればいいなぁなどと、何の気なしにいつも思っていた。
久々に歌った曲だったけれど、楽しく歌えた。
すると、周りに居たお客さんから大きな拍手を貰った。
何だかすごく不思議な気分だったけれど、
しばらく考えて思い当たった。
スパニッシュの歌だったからではないだろうか?
フィリピンはスペインに統治されていた時期がある。
その名残が今でもあるのだろうか?
その後も、ジンを回し飲みは閉店まで続き楽しい一夜を過ごせた。
良かったらぽちっとお願いします。
フィリピンサーチ
カラオケといっても、マニラにあるそれとは違い、
明るい店内で、お酒を飲みながら楽しく飲むという、
正しいカラオケといった感じだった。
ここにあったカラオケは、なんとも巨大で自動販売機の1.5倍程もある機械で、曲を頼むとコインを入れてくれオケがスタートする。
何品かのつまみを頼み、いつもの様にフランシスと大工の友人と三人で、ジンの回し飲みを始めた。
ビールを飲みたい所だったけれど、友人と飲む酒はやはりジンの回し飲みに限る。
フランシスの十八番は、テネシーワルツ。
お世辞にも上手とは言えないが、感情を込めた中々の歌いっぷりだ。
選曲が古いのは致し方ないが、次回会った時には別の曲を是非教えようと思う。
僕はお酒が飲めればそれで良いと思っていたので、
黙々と酒を飲んでいたのだけれど、
その内、フランシスが僕の前にマイクを差し出した。
またやったなぁ…
案の定クラプトンのTears In Heavenが流れてくる。
以前にも、祭りの最中の出し物として突然ギターを渡され演奏させられた事があるのだけれど、以来気に入ったのか事ある毎にリクエストする。
僕は丁重に辞退して、ラ・バンバをリクエストした。
ラ・バンバはメキシコの古い民謡で、映画のタイトルにもなっている曲。リッチーバレンスがカバーした曲でもあり、好きで良く聞いていた。
マニラからバギオへのバスの中、バギオへ近づくとそれまでかかっていた流行曲から、カントリーソングに変わる。
あぁ帰ってきたなぁと感じる瞬間でもある。
この土地で、何時かオールディーズが栄える。
そんな日が来ればいいなぁなどと、何の気なしにいつも思っていた。
久々に歌った曲だったけれど、楽しく歌えた。
すると、周りに居たお客さんから大きな拍手を貰った。
何だかすごく不思議な気分だったけれど、
しばらく考えて思い当たった。
スパニッシュの歌だったからではないだろうか?
フィリピンはスペインに統治されていた時期がある。
その名残が今でもあるのだろうか?
その後も、ジンを回し飲みは閉店まで続き楽しい一夜を過ごせた。
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